世界平和統一家庭連合(旧統一教会)幹部の勅使河原秀行氏は、京都大学出身、大和証券勤務のエリート人生を送っていました。
そんな勅使河原秀行氏が世間で有名になったのは、統一教会の合同結婚式。
しかもその相手が、新体操人気の火付け役となった山崎浩子さんだったという事実は、30年経った今でも記憶に新しいところです。
今回は、山崎浩子と夫(勅使河原秀行)の現在は?子供はいる?統一教会脱退理由も、の流れでまとめました
ぜひ最後までご覧ください。
山崎浩子の現在は?
引用:speakers.jp
山崎浩子さんは、元新体操日本代表選手としての経験を生かし、現在も新体操・スポーツ分野を中心に活動しています。
新体操の指導や育成に関わる立場でテレビやメディアでの解説・コメント、または、スポーツに関する執筆や評論的な活動などを行っています。
また、過去に世界平和統一家庭連合(旧統一教会)に関わっていた経験から、脱会後は洗脳やカルト問題について自身の体験を語る形で、インタビューや特集記事に登場することもあります。
現在は、競技スポーツの現場と社会的テーマの両面から発信を続けている人物といえるでしょう。
山崎浩子の年齢
山崎浩子さんは1960年5月8日生まれです。
そのため、2025年現在の年齢は65歳となります。
元新体操日本代表として活躍し、現在も指導や解説、執筆などの活動を続けています。
山崎浩子の若い頃
山崎浩子さんは高校時代から本格的に新体操を始めた選手として知られています。
鹿児島純心女子高等学校で新体操部に入部し、インターハイや国体で団体優勝を経験しました。
東京女子体育大学に進学後は個人選手として頭角を現し、1979年から1983年まで全日本新体操選手権で5連覇を達成。
この活躍をきっかけに、新体操が注目を集めるようになりました。
1984年のロサンゼルスオリンピックでは、新体操個人総合8位に入賞し、日本人初の新体操オリンピック出場選手として話題となりました。
同大会を最後に現役を引退しています。
若い頃は、華麗で完成度の高い演技から「新体操の女神」と呼ばれることもありました。
山崎浩子は病気?
山崎浩子さんについて「病気ではないか」「闘病しているのでは」といった噂を見かけることがあります。
ただ、現時点で山崎浩子さんが重い病気を公表している事実や、闘病中であるとする公式な情報は確認されていません。
現在も新体操の指導や解説、講演、執筆などの活動を続けているとされており、活動を完全に休止している様子も見られません。
山崎浩子の夫(勅使河原秀行)の現在
山崎浩子さんの夫である勅使河原秀行さんは、現在も世界平和統一家庭連合(旧統一教会)の幹部として活動しています。
教団内で「教会改革推進本部長」という役職に就いているとされています。
過去には人事部長なども務めた、幹部クラスの人物です。
教団の改革方針の説明、高額献金問題や信者家族への対応、記者会見や説明会でのメディア対応など、教団の方針を外部に伝える役割を担っています。
山崎浩子と夫・勅使河原秀行の間に子供はいる?
山崎浩子さんと勅使河原秀行さんは、合同結婚式に参加したものの、その後は入籍せず、同居期間も限定的だったとされています。
一部ネット上では「妊娠していたのでは?」といった噂が出たこともありますが、本人の証言や公的な報道による裏付けとなる根拠はなさそうです。
勅使河原秀行さんについては、その後、別の女性と合同結婚式で結婚し、教団内で子どもが4人いるとのことです。
山崎浩子が統一教会を脱退した理由

山崎浩子さんが統一教会を脱退した理由は、「自分が信じてきた教えに疑問を持つようになったこと」と「家族や牧師による長期間の説得」この2つが大きな要因とされています。
山崎さんは1993年4月に行われた記者会見で、
統一原理を真理だと信じてきたが、すべてが間違っていると分かった
このような趣旨の発言をし、脱会を公に表明しました。
また、自身の言動によって多くの人に迷惑をかけたことを謝罪し、教会や合同結婚から離れる決断をしたと伝えられています。
脱退の背景には、家族(特に姉)やキリスト教牧師による長期の説得があったと報じられています。
1993年、教会活動中に姿を消した山崎さんは、約1か月半(およそ46日間)にわたり、家族や牧師と話し合いを重ねる時間を持ちました。
・その過程で、統一教会の教義について改めて考える機会を持ったこと
・神学書や聖書解釈を通じて、教えの違いを検証したこと
などが、「本当に自分が信じてきたものは正しいのか」と考え直すきっかけになったとされています。
合同結婚式を挙げた当時の山崎浩子さんは、家族から反対されても教会への強い意志を曲げることはありませんでした。
あなたを否定する人は敵だ、とでも刷り込まれたかのように・・
✓自分以外の者は、皆、敵
✓姉や親戚の為にも信仰を貫いている
✓統一原理を知らないということは、恐ろしいことだ
山﨑浩子さんは、統一教会を批判する集団を“組織的改宗グループ”とコントロールされ、家族といえども警戒するようになっていたのです。
そんな浩子さんのマインドを最終的に動かしたのは、姉の涙の説得でした。
一時もあんたのことが頭から離れない!
姉の今まで以上に強い口調に、次第に聞く耳を持つようになりました。
しかし、マインドコントロールされた別世界の自分を引き戻すには時間が必要だったといいます。
”信者をだます為の情報ではなく、正しい情報が必要だった”
その間も、周りの人の熱意や思いを受けながら、徐々に信仰の間違いを確信していったのです。
山崎浩子が統一教会に入会するに至った経緯
アスリートとしての輝かしい成績を持つ山崎浩子さん。
旧統一教会に入会、そして合同結婚式に参加した後の苦悩を手記をもとに考察します。
引退後、新体操スクールを運営していた山崎浩子さんは、1989年ころ、知り合いを通じて自己啓発の集まりに通い始めます。
この集まりについて、当時の様子を次のように語っています。
そこで出会うのは温かく優しい人ばかりだった。
心理学的には、”真面目で孤独な人”が狙われやすいようですが、当時の山崎さんにも、どこか付け入れられるような心の隙間があったのかもしれません。
その後、統一教会の集まりだと知るのですが、もう後戻りが出来なくなっていたとも話しています。
山崎さんは、人類の罪を清算するためには神が選ぶ相手と結婚する必要があるという統一原理を学び、当時付き合っていた男性との交際も解消しています。
そうこうするうちに、入信から4年が経過した1992年、山崎さんは合同結婚式に参加することを決意しました。
【山崎浩子さんが統一教会に入会するに至った経緯】
| 1988年夏 | 友人宅に女性2人が訪問。友人は手相や字画を見るという男性から印鑑を買う。山崎浩子さんはこの件を友人から聞き興味を持ち、後日 男性と接触。 |
| 1989年1月 | 再度男性と会った席で「今が転換期」と言われその言葉に共感し、3本120万円の印鑑を購入。 |
山崎浩子の父親について
山崎浩子さんの父親は、小学校の国語教師として勤務し、後に教頭を務めた人物です。
鹿児島県出身で、3姉妹の末っ子である浩子さんを特に可愛がっていたとされています。
父親は厳格で亭主関白な性格だった一方、末っ子の浩子さんには甘く、いわゆる「猫可愛がり」する関係だったと語られることがあります。
そのため、姉2人とは距離があったものの、浩子さんとは比較的親しい関係だったようです。
教師の娘という立場から、幼少期に周囲との関係で苦労する場面もあったとされますが、家庭内では母親の教えを守りながら育ったといわれています。
なお、父親は1983年7月に死去しており、これは山崎浩子さんが全日本選手権5連覇を達成した直後の時期でした。
山崎浩子のプロフィールと成績
山崎浩子さんは、鹿児島県指宿市出身、1960年1月3日生まれで現在65歳です。
高校時代に新体操の魅力にはまり、競技を始めた山崎浩子さん。
インターハイや国体で団体優勝するなど、めきめきと頭角を現しました。
高校卒業後は東京女子体育短期大学入学、短大卒業後に新体操の名門、東京女子体育大学の第3学年に編入しています。
山崎浩子さんの新体操の実績をまとめました。ご覧ください。
| 1980年~1984年 | 全日本選手権 | 個人総合5連覇達成 |
| 1979年 | 世界選手権大会 ロンドン | 個人総合20位 |
| 1981年 | 世界選手権大会 ミュンヘン | 個人総合12位 |
| 1983年 | 世界選手権大会 ストラスブール | 個人総合34位 |
| 1984年 | ロサンゼルス オリンピック | 8位入賞 |
山崎浩子さんは、オリンピック種目となった最初のロサンゼルス大会で8位に入賞するなど、新体操ブームを巻き起こした人物です。
オリンピックを最後に引退しましたが、その後も指導者やタレントとして活動しています。
勅使河原秀行氏と山崎浩子さんとの合同結婚は、当時、”マッチング”によるものと言われていましたが、今となっては、エリートサラリーマンの勅使河原氏と有名アスリートとの結婚で統一教会の社会的認知を得るためのものだったといえるでしょう。
まとめ
合同結婚式の翌年の1993年、山崎浩子さんは、統一教会からの脱会と結婚の“破談”を記者会見で表明しました。
勅使河原さんと入籍や完全に同居していたら、脱会はもっと難しかったのではないでしょうか。
今回は、山崎浩子と夫(勅使河原秀行)の現在は?子供はいる?統一教会脱退理由もの流れで紹介いたしました。
今後の山崎浩子さんのご活躍を期待しています。











