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反田恭平プロフ!異才ピアニスト誕生は怪我がきっかけ?幼少期エピソードも

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ワルシャワで開かれた第18回ショパン国際ピアノコンクールで2位という、とても輝かしい成績をおさめたピアニストの反田恭平さん。

一流ピアニストへの登竜門として知られていますが、高校在学中から、数々のコンクールで多くの受賞をしています。

そんな反田恭平さんについて、反田恭平プロフ!、異才ピアニスト誕生は怪我がきっかけ?幼少期エピソードも、の流れで詳しく紹介いたします。

最後まで楽しんでご覧ください。

反田恭平プロフィールと経歴

改めて経歴を調べてみたら、その成績は素晴らしいの一言では言い表せないほど、多くの著名人も絶賛されてみえますね。

それほど偉大な活躍をされている反田恭平さんですが、幼少期のころは以外にもサッカーに夢中になっていたそうです。

ピアノを本格的に習いはじめるようになった人生のターニングポイントについて、エピソードをまとめました。

反田恭平プロフィール

生年月日:1994年9月1日  現在27才

北海道札幌市生まれ、幼稚園の年長から東京都で暮らす

職業:ピアニスト、指揮者、実業家(ジャパン・ナショナル・オーケストラ代表取締役社長兼CEO)

血液型:AB型

左利き

多数の国内、国際コンクールで優勝(2009年~2010年)

東京都及び世田谷区から表彰される(2010年)

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反田恭平経歴まとめ

2010年桐朋女子高等学校在学中 学内で開催されたピアノ・コンチェルト・オーディション第1位
2012年第81回日本音楽コンクール第1位
併せて、野村賞、井口賞、河合賞、岩谷賞(聴衆賞)も受賞
2013年チャイコフスキー記念国立モスクワ音楽院に首席で入学
2014年チャイコフスキー記念国立モスクワ音楽院を経てF.ショパン国立音楽大学(旧ワルシャワ音楽院)研究科に在籍
現在ミハイル・ヴォスクレセンスキー、セルゲイ・クドリャコフ、アナスタシア・ガマレイ各氏に師事。
ロシアを拠点にし、国内外にて演奏活動を意欲的に行っている

2015年10月に都内のホテルで行われた、モスクワ音楽院に留学中のピアニスト・反田恭平と、その師、ミハイル・ヴォスクレセンスキーとの対談の模様です。

幼少期エピソード3選

若くしてこれだけの経歴のある反田恭平さんですが、いわゆる偉大な音楽一家に産まれ、環境と才能に恵まれ育った・・というわけではありません。

父親は転勤族のサラリーマン、母親は主婦というごく普通の家庭環境で育ちました。

その①4歳で才能発揮

特に父親は”ピアノの音色が不協和音に聞こえる”ほど、音楽には全く興味がなかったそうです。

ピアニストになることにも大反対だったようですね。

長男ということもあり、安定したサラリーマンになってほしいという父親の気持ちは十分分かりますよね。

母親はクラシック音楽を聴いたり、趣味でエレクトーンを弾いたりしていました。

小さいころから母親には心配をかけていたようです。

インタビューではこのような母親とのエピソードも語っています。

ハイハイができるようになると、猫のような予測不能な動きをしては、母をよく困らせていたようです。熱い魚焼き器に手を触れて水ぶくれになったり、2歳かそこらで包丁を投げてしまったり。

http://www.highflyers.nu/ocu/kyoheisorita/ 

とにかくじっとしていられない息子を見て、サッカーのクラブチームに入団させたほど。

それほどわんぱくだったにも関わらず、2歳のころヴァイオリン、4歳でピアノも始めています。

というのも、母親が弾いた電子ピアノの「ミッキーマウスマーチ」を耳で覚えただけで普通に弾けたそうで、驚いた母親がピアノも習わせたそうです。

4歳にして耳で聴いただけでスラスラ弾けるなんて・・これにはお母さまもビックリですよね。

やはり生まれ持った才能は持ち合わせていたようです。

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その②サッカーとピアノの二刀流

そんな反田恭平さんですが、1歳から4歳半まで名古屋に居住、半年後に東京に引っ越ししています。

東京では、一音会というミュージックスクールに入りました。

一音会とは、幼児期にしか身につけられない音感を、独自のプログラムで確実に身につけさせる、絶対音感を鍛えるスクールです。

とはいえ、まだこの頃はピアノよりサッカーの方が楽しかったらしく、ワールドカップを夢見ていたそうですよ。

今でいう”二刀流”?

ご両親がどちらか一方に決めつけなかったことが、反田さんにとっても、のびのびとした環境で才能を伸ばしていったのではないでしょうか。

その③サッカーの怪我でピアノへシフト

ピアノとサッカー、どちらの感覚にも優れていた反田少年でしたが、小学5年生に転機が訪れました。

というのは、あるサッカーの試合で転倒した際に右手首を骨折。とてつもない痛さを経験したそうです。

その頃、日韓ワールドカップが開催されていました。

まだ私の記憶にも鮮明に残っていますが、当時宮本恒靖選手は鼻を骨折してバットマン姿になっていましたよね。

それを見たお医者さんに、”手首の痛さより鼻の骨折の方が何倍も痛い”と聞かされ、自分がそんな目にあったらきっと耐えられない、との思いからサッカーを諦めたそうです。

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反田恭平12歳異才ピアニスト誕生

反田さんのインスタグラムには、12歳でオーケストラを前に指揮を振っている写真が公開されています。

とても小学生とは思えない、堂々とした姿ですよね。

イメージに縛られるのはよろしくないとしても、演奏家として成功する者が本気で音楽を目指したのが12歳と知らされれば、誰でも耳を疑うはずだ。反田氏はその前年まで、「音楽は2でサッカーが8」の少年時代を過ごしてきたという。

https://www.alfaromeo-jp.com/mondoalfa/people/kyoheisorita/

12歳からという常識では致命的に遅いと考えがちですが、それを払拭するほどのエネルギーやパワーを持っていたのですね。

当時からピアニスト以外にも音楽家としての壮大な器も感じます。

実は反田恭平さんは、フィギュアスケートの羽生結弦選手、米大リーグの大谷翔平選手、スピードスケートの高木美帆選手など大物スポーツ選手と同じ94年生まれ!

最強世代のますますのご活躍を期待しています!

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