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勅使河原秀行の合同結婚式の相手【山崎浩子】の苦悩や離婚の経緯とは?

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世界平和統一家庭連合(旧統一教会)幹部の勅使河原秀行氏は、京都大学出身、大和証券勤務のエリート人生を送っていました。

そんな勅使河原秀行氏が世間で有名になったのは、統一教会の合同結婚式。

しかもその相手が、新体操人気の火付け役となった山崎浩子さんだったという事実は、30年経った今でも記憶に新しいところです。

今回は、勅使河原秀行氏と合同結婚式をした山崎浩子さんの当時の苦悩や、離婚の経緯について調査しました。

ぜひ最後までご覧ください。

勅使河原秀行氏の合同結婚式の相手、山崎浩子さんとは?

山崎浩子

引用:speakers.jp

山崎浩子さんは、鹿児島県指宿市出身、1960年1月3日生まれで現在62歳です。

高校時代に新体操の魅力にはまり、競技を始めた山崎浩子さん。

インターハイや国体で団体優勝するなど、めきめきと頭角を現しました。

高校卒業後は東京女子体育短期大学入学、短大卒業後に新体操の名門、東京女子体育大学の第3学年に編入しています。

山崎浩子さんの新体操の実績をまとめました。ご覧ください。

1980年~1984年全日本選手権個人総合5連覇達成
1979年世界選手権大会
ロンドン
個人総合20位
1981年世界選手権大会
ミュンヘン
個人総合12位
1983年世界選手権大会
ストラスブール
個人総合34位
1984年ロサンゼルス
オリンピック
8位入賞

山崎浩子さんは、オリンピック種目となった最初のロサンゼルス大会で8位に入賞するなど、新体操ブームを巻き起こした人物です。

オリンピックを最後に引退しましたが、その後も指導者やタレントとして活動しています。

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勅使河原秀行氏の合同結婚式の相手、山崎浩子さんの苦悩とは?

このような、アスリートとしての輝かしい成績を持つ山崎浩子さん。

旧統一教会に入会、そして合同結婚式に参加した後の苦悩を手記をもとに考察します。

【山崎浩子さんが統一教会に入会するに至った経緯】

1988年夏友人宅に女性2人が訪問。友人は手相や字画を見るという男性から印鑑を買う。山崎浩子さんはこの件を友人から聞き興味を持ち、後日
男性と接触。
1989年1月再度男性と会った席で「今が転換期」と言われその言葉に共感し、3本120万円の印鑑を購入。

引退後、新体操スクールを運営していた山崎浩子さんは、1989年ころ、知り合いを通じて自己啓発の集まりに通い始めます。

この集まりについて、当時の様子を次のように語っています。

そこで出会うのは温かく優しい人ばかりだった。

心理学的には、”真面目で孤独な人”が狙われやすいようですが、当時の山崎さんにも、どこか付け入れられるような心の隙間があったのかもしれません。

その後、統一教会の集まりだと知るのですが、もう後戻りが出来なくなっていたとも話しています。

山崎さんは、人類の罪を清算するためには神が選ぶ相手と結婚する必要があるという統一原理を学び、当時付き合っていた男性との交際も解消しています。

そうこうするうちに、入信から4年が経過した1992年、山崎さんは合同結婚式に参加することを決意しました。

勅使河原秀行氏と山崎浩子さんとの合同結婚は、当時、”マッチング”によるものと言われていましたが、今となっては、エリートサラリーマンの勅使河原氏と有名アスリートとの結婚で統一教会の社会的認知を得るためのものだったといえるでしょう。

合同結婚式を挙げた当時の山崎浩子さんは、家族から反対されても教会への強い意志を曲げることはありませんでした。

あなたを否定する人は敵だ、とでも刷り込まれたかのように・・

✓自分以外の者は、皆、敵

✓姉や親戚の為にも信仰を貫いている

✓統一原理を知らないということは、恐ろしいことだ

山﨑浩子さんは、統一教会を批判する集団を“組織的改宗グループ”とコントロールされ、家族といえども警戒するようになっていたのです。

そんな浩子さんのマインドを最終的に動かしたのは、姉の涙の説得でした。

一時もあんたのことが頭から離れない!

姉の今まで以上に強い口調に、次第に聞く耳を持つようになりました。

しかし、マインドコントロールされた別世界の自分を引き戻すには時間が必要だったといいます。

”信者をだます為の情報ではなく、正しい情報が必要だった”

その間も、周りの人の熱意や思いを受けながら、徐々に信仰の間違いを確信していったのです。

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勅使河原秀行氏と山崎浩子さんの離婚原因はなに?

合同結婚式の翌年の1993年、山崎浩子さんは、統一教会からの脱会と結婚の“破談”を記者会見で表明しました。

実は、合同結婚式の前に浩子さんの母が亡くなり、入籍を控えていたこともあり、二人の関係は離婚ではなく、破談に終わったということになります。

勅使河原さんと入籍や完全に同居していたら、脱会はもっと難しかったのではないでしょうか。

母親の死が、山崎浩子さんを別世界から抜け出させる奇跡をくれたのかもしれません。

現在、山崎浩子さんは、新体操のコーチやスポーツライターなどの活動を行っています。

62歳にして、Twitter、YouTube、そしてインスタを開設するなど、発信活動にも力を入れています。

「人生これから」とのメッセージには、今まさに充実した人生を送っている浩子さんの内面が溢れているように感じます。

まとめ

今回は、勅使河原秀行の合同結婚式の相手【山崎浩子】の苦悩や離婚の経緯とは?の流れで紹介いたしました。

今後の山崎浩子さんのご活躍を期待しています。

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